ボブ髪はかく語りき。

物事を掘り下げすぎて、埋められなくなった人の戯言

愛情や生き様を押し付けるんじゃねえよ。

真っ向から、この世の中を生きるに際し、全ての出来事を頭の中で巡らせたら到底まともには生きていけない。

私は、眼を瞑ってその光景を過去を思い出さないように、五感の一つに集中をした。過去のラジオを聞き漁り、万が一にもそちらの光景にメンタルが引っ張られないようにしている。

 

家族を持ったことで得たものは、なんだったのだろうかと思う。

私の順調な生活はある時から、精神的肉体的破綻の一途を辿った。怒りだったり憎しみを正当な形でぶつけまくることだけで生きてきてしまって、無いプライドをさらに無くしたという所だろう。

 

子どもの卒業式の日、終盤の写真撮影のところで私は完全に切れてしまった。

今にもスーツのコサージュ、真珠のネックレスにピアスをコンクリートに投げ捨てたい気持ちになった。結局、人間関係特に気を使っているつもりでやっている子どもの行動というか、ASD特有の対人関係の苦手さがそこで炸裂していてしまっていた。それは子どもだけにと止まらず、ASD傾向の父親までがそこで炸裂させるという同時多発テロが起こった。

 

子どもは6年生の内、結構な日数を不登校という形で過ごした。それに対して、大人の礼儀として担任、管理職の方に御礼の言葉を述べなければいけないという、そういった気持ちで、他所のお子さん達が写真撮影をしているのを待ちながら、全員が終ったところで、御礼の言葉を伝えようと思っていた。そこで、まず父親が「御礼とかもういいじゃん、それいる?」と言う、社会人として親としての発言とは思えないところで、コサージュをちぎり投げ捨てたい気持ちになった。そこは華麗にスルーをして、担任にこの一年の配慮(結構な有難迷惑だった部分が多い)に対して、「一年間、大変お世話になりました。こうして子どもが立派に育ったのは先生のご尽力のおかげです」的なことを伝えて、担任は娘に「最後だから、写真撮ろう!」と言った。その時に子どもは、

「え・・・っ・・・いや、別にいいです」と滅茶苦茶なことを滅茶苦茶嫌そうな顔で言っていた。その時点で、私はこの子は一体、この最後だけ終わり良ければ総て良し的なことが出来ないのか・・・いくらなんでも、これは・・・。と思っていたが、担任が手を引っ張って、その横で滅茶苦茶嫌そうな顔をしている子どもと担任のツーショットを撮った。その帰り道で、父親は「○○ちゃんの気持ちも考えなよ」と言っていたが、さすがに人としてどうだろうかと思い、この卒業式の為に新調した春らしいコサージュを握りスーツのポケットに捻じ込んだ。パンプスで競歩をし帰宅。スーツを脱ぎ、この日のために購入した真珠のネックレスと指輪を投げつけ、メイク落としシートでメイクを落とし、午後からの予定であったちょっと高い焼肉店でのお祝いを急遽辞め、酒を飲み眠った。

 

来月からは、中学生になるわけだ。

自転車に乗れない子どもを毎日、駅まで送るのだろう。今になって不安になってきた、制服やバッグから靴下、傘まですべて指定のため、初期投資(入学金除く)だけで20万をゆうに超えていた。この調子なら、おそらく中学校も通うことが難しくなるだろう。と思うと、制服がかわいいからうれしいと言う子どもの言葉が薄ら寒くすら感じた。色々な伏線をここから回収していくのだろうと思うと、この調子ならどうにもならないかもしれないとすら思っている。今はyoutuberで食べていきたいと言い出し、それを甘やかす形の父親。ゲーム実況者になりたいといえばそれを応援し、歌い手になりたいと言えばそれを応援し、絵描きになりたいと言えばそれを応援し、DTM配信をやりたいと言えばそれを応援し。結局、何をしているのかもわからない。保育園の時、ピアノに通っていた。結局1年経っても、1週間経てば指の置き方も忘れてしまっている。結局、止めるに至った。部活動は、3年間トランペット演奏をしていたけれど、練習をまったくせずに、自分が選ばれるという謎の万能感を発揮し、選ばれなかったことに腑が落ちず泣いていたのを思い出した。努力をしないでも、出来てしまう部分が確かにある。

特性の凸凹である。出来る部分だけに目を向けていていいのは小学生の内だけだと私は思う。正直に言うと、子どもがyoutberになりたいや歌い手、作曲で食べていきたいと言うのを本気で応援して、学業をないがしろにしても応援している父親に無責任さすら感じる。せめて、学業と両立するべきでないだろうか。

 

そういった、かみ合わない私たちは卒業式と言うクライマックスの時、私は静かにキレ、私の気持ちと言うものや常識すら、一蹴されるのかと思ったらくだらないと思ったのだ。